奈良 明日香めぐり その3

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☆奈良 明日香めぐり その3
 
飛鳥寺から赤かめバスに乗り、石舞台古墳へ。高校の修学旅行以来ですから、30年ぶり。古墳の周りは綺麗な公園になっていて、茶屋やレストランがあり、昔に比べたら随分と明るい雰囲気であります。
7世紀の始め頃に建造されたと推定される、この古墳の被葬者は不明ですが、蘇我馬子の墓ではないかと言われています。ちなみに、国内最大級であった石舞台古墳を凌いだ真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳は、馬子の父、蘇我稲目の墓だという説があります。(渡来系豪族説もありますが・・・)飛鳥寺でお参りした蘇我入鹿は、馬子の子ども蘇我蝦夷の子ですから、馬子の孫です。
横穴式石室入り口      この上で踊ったんでしょうか?
   
 石舞台の名前の由来は、石の形から、昔々美女に化けた狐が、月夜の晩に石の上で踊ったからとか、旅芸人が舞台がなかったので石の上で演じた、等々いろいろとあります。石室の中に入ると、かなり大きい。よくもまあ、こんなでっかい石を運んだなと思います。石室の総重量2,300tということですが、かなり大規模な古墳です。
石室の中に入れます。とにかく大きな石です
   
 またまたバスに乗り、高松塚古墳へ。
この飛鳥地方西南部には、渡来人が多く居住したといわれ、天武、持統、欽明、文武の各皇陵が築かれています。
 
高松塚古墳は、地元の人が墳丘の南斜面で食物貯蔵用の穴を掘っていて、切石を発見。それがきっかけとなり、昭和47年に発見されました。7世紀末期から8世紀に建造されたと言われています。外から姿形だけでも見たいと思っていたのですが、新聞やニュースでも話題になったとおり、古墳は壁画面にカビが生えてしまい、修復のためブルーシートで覆われています。内部は昔から公開されていませんが、高松塚壁画館にてレプリカを見ることができます。
 壁画館では、発掘当時の壁画の様子を見ることができます。たしかに色彩素晴らしく、たくさんの出土品も高価なものだということが分かります。被葬者は不明ですが、天武天皇王子説臣下説朝鮮半島系王族説があります。
 
この時代、朝鮮半島の姫君が豪族へ嫁いだり、豪族の下で勢力を持っていた渡来系一族がいたという話ですが、ことばは通じたいのでしょうか?ちなみにナラとは、朝鮮語でという意味だそうです。百済が滅亡したおり、たくさんの亡命者が日本に渡り、そのまま朝廷の高官職についた例があるそうです。彼らは漢字を使いこなせたので、それが共通な言語になったのでしょうか?このことについては、すごくいろいろ研究されている方がいるようなので、興味のある方はネットで検索されるといいと思います。
 
ここは大きな公園になっていて、バスを降りて大分歩きます。キトラ古墳まで歩いていけるようでしたが、朝から歩きっぱなしだったのでこの日の観光はこれで終了。バスに乗って橿原神宮駅まで戻りました。
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