月別アーカイブ: 2月 2008

京都 明日香めぐり 最終~~(やっと)

標準
☆奈良めぐり
 
橿原ロイヤルホテルで一泊し、橿原神宮駅から近鉄橿原線に乗って、西ノ京駅で下車。荷物をロッカーに入れて、まずは唐招提寺へ。
 
唐招提寺は759年に中国の高僧、鑑真和上にて創建されました。境内には、金堂、講堂、宝蔵、鼓楼などの国宝が立ち並んでいます。朝廷や有力者の寄進によって、徐々に建てられたものだそうです。
      鼓楼             宝蔵
   
金堂は解体作業中により、またもや見ることができませんでした。って、何年前に来たんだっけな?4年前かな?本当に、大変な作業です。一体何年かけるのかと思いきや、2010年の予定らしいです。着工したのが2000年ですから、10年プロジェクトということでしょうか。唐招提寺は奈良の文化遺産ということで、1989年に世界遺産に指定されました。その6年後、阪神大震災がありました。倒れるほどではなかったようですが、調査の結果修復が必要となり、この大修理事業が始まったということです。
 
西ノ京駅に近い、薬師寺へ。
 
 
薬師寺ではバサラ祭りなるものをやっていて、高尚なお坊様とマジ?という感じの12神将に並ぶ前で、鳴子を手にして高知のよさこいのごとく、派手派手な衣装でチームごとに踊りを披露しておりました。
薬師寺はとにかく広くて、お昼に何を食べるか考えていたので、何を見てもあまり頭に入りませんでした。連日の観光でいささいかお疲れ気味でしたので、さっさと回って西ノ京駅から奈良駅へ向かいました。
 
奈良でお好み焼きをたんと食べ、サワーを飲んじゃったりして。この甘めのソースがたまらないのです。
食後、せっかく奈良まで来たのだからと、30分ほど奈良公園の辺りから東大寺参道入り口辺りまで人力車に乗ったりして。
  
時間を潰してから、リムジンで伊丹空港へ。最終便なので、空港内の寿司屋で旅の打ち上げ。機内では1000円出してCAVA飲んで、疲れと酔いでばったんきゅ~~と思いきや。箱崎でバスを降りたのが運のつき(終点ジャン)。ロイパのバーで最終打ち上げ~~!!近所に住んでいるアンサンブルのお仲間Y氏を呼び出して、飲んだくれました。
 
やっぱり旅はいいもんだ、でも無理は禁物です。
 
 
 
広告

奈良 明日香めぐり その3

標準
☆奈良 明日香めぐり その3
 
飛鳥寺から赤かめバスに乗り、石舞台古墳へ。高校の修学旅行以来ですから、30年ぶり。古墳の周りは綺麗な公園になっていて、茶屋やレストランがあり、昔に比べたら随分と明るい雰囲気であります。
7世紀の始め頃に建造されたと推定される、この古墳の被葬者は不明ですが、蘇我馬子の墓ではないかと言われています。ちなみに、国内最大級であった石舞台古墳を凌いだ真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳は、馬子の父、蘇我稲目の墓だという説があります。(渡来系豪族説もありますが・・・)飛鳥寺でお参りした蘇我入鹿は、馬子の子ども蘇我蝦夷の子ですから、馬子の孫です。
横穴式石室入り口      この上で踊ったんでしょうか?
   
 石舞台の名前の由来は、石の形から、昔々美女に化けた狐が、月夜の晩に石の上で踊ったからとか、旅芸人が舞台がなかったので石の上で演じた、等々いろいろとあります。石室の中に入ると、かなり大きい。よくもまあ、こんなでっかい石を運んだなと思います。石室の総重量2,300tということですが、かなり大規模な古墳です。
石室の中に入れます。とにかく大きな石です
   
 またまたバスに乗り、高松塚古墳へ。
この飛鳥地方西南部には、渡来人が多く居住したといわれ、天武、持統、欽明、文武の各皇陵が築かれています。
 
高松塚古墳は、地元の人が墳丘の南斜面で食物貯蔵用の穴を掘っていて、切石を発見。それがきっかけとなり、昭和47年に発見されました。7世紀末期から8世紀に建造されたと言われています。外から姿形だけでも見たいと思っていたのですが、新聞やニュースでも話題になったとおり、古墳は壁画面にカビが生えてしまい、修復のためブルーシートで覆われています。内部は昔から公開されていませんが、高松塚壁画館にてレプリカを見ることができます。
 壁画館では、発掘当時の壁画の様子を見ることができます。たしかに色彩素晴らしく、たくさんの出土品も高価なものだということが分かります。被葬者は不明ですが、天武天皇王子説臣下説朝鮮半島系王族説があります。
 
この時代、朝鮮半島の姫君が豪族へ嫁いだり、豪族の下で勢力を持っていた渡来系一族がいたという話ですが、ことばは通じたいのでしょうか?ちなみにナラとは、朝鮮語でという意味だそうです。百済が滅亡したおり、たくさんの亡命者が日本に渡り、そのまま朝廷の高官職についた例があるそうです。彼らは漢字を使いこなせたので、それが共通な言語になったのでしょうか?このことについては、すごくいろいろ研究されている方がいるようなので、興味のある方はネットで検索されるといいと思います。
 
ここは大きな公園になっていて、バスを降りて大分歩きます。キトラ古墳まで歩いていけるようでしたが、朝から歩きっぱなしだったのでこの日の観光はこれで終了。バスに乗って橿原神宮駅まで戻りました。

奈良 明日香めぐり その2

標準
☆奈良 明日香めぐり その2
 
橿原駅前から明日香めぐりの赤かめバスに乗りました。まず飛鳥で下車。ちょっと歩いて飛鳥水落遺跡へ。
      当時の土台                 礎石
  
水落遺跡は671年に中大兄皇子によりつくられた、日本最古の水時計の跡です。
  
1階には水時計、2階には時を知らせる鐘、修正をする天文観測の装置が置かれていたとか。こりゃ凄いですよね、画期的というかなんというか。
 
水落遺跡から10分ほど歩くと飛鳥寺があります。飛鳥寺は蘇我氏の氏寺で、前身の法興寺は蘇我馬子が建立した日本最古の仏教寺院です。今は結構小さくまとまった感じですが、創建時は塔を中心に東西と北にそれぞれ金堂を配し、その外側に回廊をめぐらした壮大な伽藍だったそうな。講堂には飛鳥大仏が祀られています。606年、推古天皇が造らせたそうです。東大寺の大仏より150年前のもので日本最古の仏像です。顔形など大陸的で細面。バーミヤンの仏像みたいです。幾度かの火災によって室町以降は荒廃し、この大仏も雨ざらしにされていたそうですが、その後の再建により現在に至っています。
綺麗なお顔の大仏様をお参りして、お寺の裏手にある入鹿様の首塚へ・・・
かの大化改新で暗殺された、蘇我入鹿様の首塚でございます。ここまで首が飛んできた?ということですかいな?今は田んぼに囲まれているこの辺りは蘇我一族のお屋敷があったそうです。奥手に見える小さな丘は蘇我氏の館がありました、甘橿の丘です。丁重にお参りをしてまいりました。
 
緊張感を和ませてくれた蕨もち。奈良と言ったら鹿と蕨もち。首塚前にある茶店のお嬢様たちは、綺麗な空気と美味しい水、蕨もちを召し上がっているのでとってもお若い。飛鳥寺へお寄りの際は是非お立ち寄りくださいまし。
     蕨もち          美人のお嬢様がいる茶店
  

奈良 明日香めぐりその1

標準
☆奈良 明日香めぐりその1
 
昨年10月、亀岡湯の花温泉で1泊、京都で1泊して、奈良へ移動。奈良で泊まってじっくり観光するのは久々のこと。今回はちょいと渋く飛鳥の古墳巡りでもと、奈良市内ではなく橿原神宮前の橿原ロイヤルホテルに宿泊。チェックインは午後なので、荷物をホテルに預けて明日香周遊バス1日フリー乗車券を購入。赤かめバスの印があるバスなら、どこへでも乗り降り自由で650円!お昼から夕方まで、一気に古墳やら遺跡やらを観光しました。
 
まずはホテルから徒歩で橿原神宮へ。
   
橿原神宮は神武天皇が即位した宮址に建てられました(明治23年)。神武天皇とひめたたらいすずひめ皇后が祀られています。神武天皇は言わずと知れた日本国建国の祖、第一代目の天皇です。今の九州、宮崎、日向の国高千穂から政を行なうために東遷され、大和の国を中心とした中つ国を平定したそうです。
 
小山のようなのは神武天皇御陵です。
とにかく敷地はでっかいし、厳かな感じがします。鳥居も立派です。明治23年に創建されたということですが、鳥居ってご神木で建てられるそうですが、もしかしてこれは屋久島?あるいは台湾阿里山あたり?のご神木だろうかなどと、思い巡らせるのでした。知っている方がいらしたら、教えてくださいまし。ちなみに現明治神宮の鳥居は、台湾阿里山のものだと聞いております。
 
大きな敷地から裏道を通って、直ぐ近くの久米寺へ。
久米寺は久米仙人によって創建されたとあります。久米仙人は聖徳太子の弟君、来目の皇子。今昔物語、徒然草などで出てくる久米仙人は吉野竜門寺にて神通力を会得、吉野の空中を飛行中に川で洗濯をしていた若い女子の肌を見て目がくらみ、神通力を失い落下したとあります。聖徳太子さんの御親戚は、人間離れした人が多いようですが・・・・・
また、来目皇子7歳のおり、目をわずらいこの地の薬師如来に願かけをして平癒されたということで、来た目と喜ばれ久米寺と呼ばれるようになったという説もあります。
    
久米寺はこじんまりとした、よいお寺でした。
 
お昼は橿原神宮駅前でうどんを食べ、午後は赤かめバスで墓めぐり、いや古墳めぐりです。