月別アーカイブ: 10月 2006

中国珍道中その11(上海→帰国)

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☆中国珍道中その11(上海→帰国)
 
 中国6日目のつづき、というより中国最後の夜です。上海空港に到着後ホテルに迎い、ホテルロビーにて「オールディーズ」上海メンバー、白髪の紳士、上海倭人と待ち合わせ。タクシーに乗り、花園飯店(ホテルオークラ)に向かいました。花園飯店は上海で唯一蛇口の水をそのまま飲めるホテルです。ちゃんと浄化槽がついていて、美味しくて綺麗なお水が飲めるのです。前回はこちらにお泊りしましたが、今回は別のホテルにお泊り。でも上海倭人が夕食をご馳走してくれるということでしたので、四人とも大喜びです。何でもいいから中華料理以外のものが食べたい!という願望を全員が持っていたからです。
 花園飯店の一階にあるレストランで、ブッフェを堪能し、上階にあるメインバー「夜来香」に向かいました。このホテルは上海でも高級な場所でありますので、6日間の珍道中を終えた私達はもしかしておのぼりさんに見られたかもしれません。でもそんなことは知ったことか!といわんばかりの勢いで、久々のシャンパンに酔いしれる私でした。
 
 翌日、中国滞在7日目(ひえ~~一週間もいたんだ)。いよいよ帰国です。上海での滞在はいつもこんな感じです。しかし、今回はおっかなびっくり世界初の商業用のリニアモーターカーに乗車して空港まで行きました!これって凄い経験でした。だって、日本じゃ金丸関係者とか、山梨関係者とか、特別な人しか乗ったことの無いリニアですよ、あーた!その名のとおりの磁浮列車に乗っちゃいました。開設当初は、大人片道150元だったそうですが、閑古鳥が鳴いたので大幅値下げ、片道50元。これに習って日本の東京湾アクアラインも大幅値下げしてもらいたいものです。当日の航空券所持者は更に割引片道40元になります。普通だったら車で1時間近くかかる道のりを、わずか8分くらいで空港に着いてしまいました。シートも車内も一般席でも充分綺麗ですし、やっぱり中国の値段設定ってわけわかんないです。
 でも正直言って怖かったです。地上を時速431kmで走るのですよ!やっぱちょっと信じられないことです。これは実に貴重な体験でありました。おかげで体中の肩こりが治りました。んなわけないんですが、電磁場を数分間浴びまくっていたわけですから、考えられないこともないわけです。
 
 あっという間に上海浦東空港に到着し、空港のレストランでラーメンを貪り食い、機内で四人、お疲れ様のチンタオビールを飲みました。本当に長いような短いような7日間でした。。。終章へ
 
 
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中国珍道中その10(鄭洲→上海)

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☆中国珍道中その10(鄭洲→上海)
 
 中国滞在6日目。そういえばいい忘れていましたが、黄河遊覧区には古い鉄橋がありました。この鉄橋は現在は使われておりませんし、そんなに大きなものではありませんが、歴史的には古く清末に作られたといわれております。
 
 鄭洲市内にある商代遺跡を見て、その並びにある梅花酒店にて昼食をとりました。とっても高級な感じのするレストランで、綺麗なチャイナドレスを着た小姐が並んでお出迎え。ここでも珍しいお料理をいただきました。三門峡で食べた、あの揚げた玉蜀黍と同じようなお料理。(ピザみたいに揚げてあって、お砂糖がまぶしてありました)それから最後に中華風ハンバーグ。これはとっても美味しかったので、残してしまったものは包んでもらってお持ち帰り。(上海までの飛行機の中で食べようと思って。。。)またまた腹いっぱいになって、目指すは鄭洲最後の観光地河南省博物院。ここを見学したら、鄭洲の空港から上海へひとっ飛びします。
 
  河南省博物院は凄く綺麗で近代的。貧しい街などどレッテルを貼られていた鄭洲は、今や近代化の道を突き進んでいるように思えました。中国人大好きの絶対に機能的じゃないロータリー、建築中なのか取り壊し中なのか分からない高層ビル。この博物院も昔は河南省博物館といわれ、汚くて薄暗い博物館だったそうです。展示品は大きな青銅や、金細工、高い位の人やら、お金持ちのお墓に埋葬されていたもの。(でっかい骨壷?とか)黄河の文明を象徴するような貴重なものばかり並べられていました。ここで展示されている大物はなかなか見応えがありますが、小物、細工物はやはり台湾の故宮博物館のほうが物が良いような気がしました。流石蒋介石!ところが、何せ中国6日目、疲れもあり足は重く、私は椅子があれば座ってしまうという有様。しかし自分より20年は余計に生きていらっしゃる、「オールディーズ」の面々(お水博士、健脚紳士、超悪爺さんは、疲れも見せず、足早にじっくりと見学していました。恐るべき60代!
 
 博物館を出て、一路空港へ。とにかく座りたい一心で、やたらに高い喫茶店で時間待ちをしました。だってチンタオビールが30元なのに、コーヒーは70元なんですよ。なんか40年前の日本のようです。だ・か・ら、今中国でコーヒー豆作ったり、コーヒーショップ作ったりしてる日本人がいるのですね。これは儲かるわいな。
 上海に向かう飛行機の中でお持ち帰り用に包んでもらった、中華ハンバーガーを食べましたが、時間が経って脂臭くなっていて、出来立てとは随分味が変わっておりました。機内食みたいなのも出たのですが、それよかマシだったと思われますが。。。上海上陸は3回目。1回目は飛行機の乗換えで途中下車、二回目はやはり飛行機の乗換えで夜遅くについて24時間以内に帰国。今回も同じような感じの一泊滞在です。。。つづく

中国珍道中その9(鄭洲)

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☆中国珍道中その9(鄭洲)
 
 「龍門石窟」「白馬寺」「洛陽牡丹園」を観光し、また高速道路に乗って(決死のドライブ?)鄭洲に向かいました。中国滞在五日目の宿泊地は鄭洲です。
 
 鄭洲は三門峡や洛陽に比べると断然都会的ですが、やはり北京や西安には負けます。この日宿泊したホテルには、宿泊客が溢れんばかりでした。なにやら町で大きな医療関係の会議があったらしく、中国全土から人が集まっていたそうです。ホテルは一見近代的でがっちりしておりますが、音は筒抜け地震が来たら間違いなく倒れるかと思われるような安普請 中国にはたくさんの高層ビルがありますが、ホテルは少なくとも外資系を選ばれるほうが身の安全の為に良いかと思われます。このホテルの室内では、おもろいものに値札がついてそこらに置かれてありました。
 この日の晩の食事は「河南食府」。ビールは冷えていなかったし、ミネラルウオーターも直ぐ品切れになってしまいましたが、ここのお料理も地元河南省のお料理で、お昼に食べたスープ料理など日本ではなかなか味わえない珍しくて美味しいものでした。この河南省独特のスープ料理ですが、聞く所によると則天武后がお気に入りで、毎日食していたものだそうです。
 
 一晩明けて、中国滞在6日目黄河遊覧地区に行き、ホーバークラフトに乗って大黄河を遊覧しました。勿論、お水博士の目はランランと輝いておりました。ここは観光用に開発されていて、遥か山の上には、夏の時代の伝説の大禹と炎王が大きなお顔でお出迎え。浅い河川敷を進み大黄河に流れ着いた私達は、何となく感無量。中州で途中下車しました。この世界的に大きな河を目の前にして「大陸気分」を味わい、中国の歴史の深さや重みを噛み締めたのでありました。
 
 楽しい黄河遊覧を終え、市内にある商代遺跡を見学。商王朝時代の住居や城壁が一部発掘され、そのまま保存されていました。商は今から3500年も前の時代の王朝です。紀元前ですよ!まったく。こういう数字を聞かされるたびに、日本人として歴史の浅さを感じてしまいます。いや、こうも考えられます。日本の歴史が浅いのではなく、中国の歴史が深いのだと。大陸と島国の違いといってしまえば簡単ですが、やはりなにやら考えさせられてしまうのでありました。
 鄭洲最後のランチタイムを遺跡の20メートル並びのお店でとりました。。。。つづく

中国珍道中その8(洛陽、鄭洲)

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☆中国珍道中その8(洛陽、鄭洲)
 
 中国滞在五日目。三門峡を後にして、高速道路を突っ走り洛陽に向かいました。洛陽は河南省の西、黄河の中流にある中国7大古都のひとつです。歴史上の九つの王朝、七〇の帝王が都をここに置いていました。
  高速道路には随所に「避難所」があります。箱根のターンパイクの隠れた名物である、あの「避難所」と同じように土を盛ってあるのですが、どうみても箱根ほど道路に高低差は無いように思われ、何だか恐ろしくなりました。第一、あんなところに非難したら、この国の超中古のトラックは大破してしまうのでは?と思うのですが・・・
 
 どうにか生き延びて洛陽に着き、まず最初に向かったのは「龍門石窟」。ここは中国三大石窟のひとつで、主に北魏時代と唐時代に切り開かれました。二日目の西安で見た「乾陵」のあの則天武后さん唐時代に作られたものがここの見所になっております。ですので則天武后さんがモデルだと言われている大きな仏像も見ることができました。彼女は仏教への信仰が厚かったようです。(多分たくさん悪事を働いているので、死んだら成仏したかったのではないでしょうか?)
 
 とにかくここには2100以上の仏龕、43の仏塔、10万体以上の仏像と3600以上の碑刻題記が残っています。伊水という川を挟んで、石灰質の岩山が二つ聳えており、これが龍門といわれています。伊水はかなり大きな川で、その川沿いにず~~っと石窟がたくさんありました。本当に壮大でした
 
 お昼は龍門石窟の入り口にある、「龍門第一甲酒楼」まだ開店したばかりのお店で、ここの地元料理を食べさせてくれます。このあたりの地元のお料理はスープ料理が主で、何種類も出てくるという話でしたが、お昼からそんなに食べられないので適当にチョイスしてもらいました。でも「オールディーズ」はスープ料理は食べられなくとも、お酒は昼間っからばっちり飲めるようです。こちらでも白酒を注文。「杜康酒」という地元のお酒です。私は今回まで知らなかったのですが、この「杜康」という人はお酒造りが上手なので、名前が知られた人だそうで、日本でも酒造りにの「杜氏」という方々がいらっしゃいますが、この呼び名は「杜康」さんがルーツだそうです。やはり年の高なら亀の甲ですな。
 そうそう、これは私の憶測なのですが北魏時代の北魏というのは、トルコ系の遊牧民、鮮卑族の部族のひとつである「拓跋部」が建てた国だそうです。そういう歴史があるから、この地元のスープ料理も中華料理としては珍しいし、ここのお店の女店主さんは、ちょっとヨーロッパ的なお顔で綺麗な人でした。
 おなか一杯にして、「白馬寺」「洛陽牡丹園」を見学。再び高速道路に乗り、またまたおっかないドライブで鄭洲まで行くのでした。。。。つづく

中国珍道中その7(三門峡)

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☆中国珍道中その7
 
 中国滞在四日目の続き。三門峡ダムを後にして、三門峡の町にある(田舎にしてはそこそこの町)ホテルで宿泊、チェックイン後、「明珠賓館」(宿泊ホテル)内のレストランにて食事。ここの名物は、川魚料理らしいのですが、今回のツアー、「魚介類、鮮魚類、一切禁止条例」お水博士から出ておりましたので、皆でそれを実行しておりました。ですから、嫌な客だったと思いますが、そこは中国料理、何でもござれで結構美味しくいただきました。
 あ、そういえばいい忘れていましたが、「オールディーズ」さん達は、食事の度に白酒を満喫されていました。私は絶対飲めないので、「ワイン」だとかビールしか飲まなかったれど、この時も56度の白酒を飲んでよい気分になって楽しそうでした。
 食事も結構美味しくて、玉蜀黍を一粒づつ揚げたお料理が絶品でした。聞く所によると、塩卵の粉末をまぶして揚げているらしいです。「塩卵の粉?」誰かそんなの見たことありますか?知っていたら是非教えてもらいたいです。あと、中国風ハンバーガーまたは中華風おやき?みたいなのもあり、ここのお料理はちょっと変わっていたけれど、凄く美味しかったです。
 食後、ホテル内に「BAR」の看板を発見!寝酒でも飲もうと思い店の前まで行きましたが、怪しいブラックライトと店内の暗闇を見て、日本のホテルでいうところの「BAR」ではなく、「キャバレー」?「ピンサロ」?かと思われ、即Uターンして部屋に戻りました。あれって、そういうこと?もしかして・・・って感じでした。要するに小姐が隣に座って、膝こすり合いながら楽しく歌う「カラオケバー」なのでしょう。そして、私は深夜遅くまで赤の他人の上手くない歌を聴きながら眠ったのでありました。この不思議なホテルに一泊、お次は三門峡→洛陽→鄭洲を専用車でかなりワイルドなドライブ!中国のフリーウエイを突っ走りました。これ、本当に凄かったです。Devil Gate Drive(Suzi Qatoro姉さんの曲知ってる人いるかな?)。。。。。つづく
 

中国珍道中その6(三門峡ダム)

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☆中国珍道中その6(三門峡ダム)
 
 何だか雑用が多くて、また止まってしまった半年前の旅行記。飽きずに見てくださいな。
 
 中国滞在日目、西安から汽車で三門峡駅に降り、そこから専用車で「三門峡ダム」へと直行いたしました。前回もご紹介しましたが、今回のツアーの隊長的存在である(一番年上なので隊長だという噂も・・・・)お水博士のメインイベントがこの「三門峡ダム」訪問でした。要するに中国の水事情を、聞いた話だけではなく自分の目で確かめたかったのだと思われます。大黄河の河水は年々減り、水は汚染される一方であることはいうまでもありません。
 「三門峡ダム」を簡単に説明いたします。このダムはかの毛沢東氏が黄河のダム建設を計画、1957年よりソビエト(現ロシア)の技術支援協力を受けることにより建設が始まりました。しかし、建設途中で「中ソ問題」勃発!結局中国独自で作った初めてのダムです。しかし、工事を開始してから当初の計画以上の土砂が溜まり、幾度かの改築を経て1965年にやっと完成しました。現在は土砂の問題や黄河の水量の減少により、当初の計画よりも能力的に実用性の無いダムとなってしまいました。
  さて、「三門峡」の名前の由来ですが、このダムの渓谷の河には二つの大きな石島が屹立して流れを三分しています。北側は舟が通ることができるので、「人門」中央は無事に通れるかわからないような流れであり予測がつかないので「天門」、南側は危険すぎてとうてい通ることができないので「鬼門」と称され「三門峡」といわれました。ちなみにこの「鬼門」は、陰陽道でいわれる「鬼門」という言葉の語源です。 
  お飾りダムになってしまった「三門峡ダム」ですが、この場所の歴史は古く「中流の砥柱」は、遥か遠い「夏」の時代に水の神様といわれた伝説の「大禹公」が、黄河治水の為に足場として用いたもので、無数の岩山を砕いて工事を成功させたと言われております。この伝説だか、事実が言い伝えられているので、毛さんはここに権力というか自分の象徴としてダムを作りたかったようです。
  ま、長々と書き込みましたが、早い話見た感じの感想ですが、とっても古くて使ってるの?と思うくらい汚いダムでした。これが「黄河のうえの真珠」なの?発電力もたいしたことないようだし。でも、ダムを背にして見る水の流れは激しく、そこそこにある岩場は壮大で「大禹公」伝説や、過去にあった黄河の氾濫、水害等を想像してしまうような、そんな光景でした。・・・・つづく